北海道旅行 5日目
北海道を移動するとなると、とてつもない時間がかかる。
列車での移動となると特にである。
発車駅は、北見駅。
引退が近づいている183系気動車「特急オホーツク」で札幌を目指す。所要時間は4時間30分!! おそらく一つの特急にここまで長く乗ることは人生初めてであろう。
数少ない国鉄車両の生き残りであるが、この過酷な環境下で走り続けていることに驚きである。ディーゼルエンジンがひねり出す音は、声の枯れきった老人のようではあったが、ゆっくりながらも着実に札幌へと走ってゆく。
雪に覆われている線路をひた走り続け、山をいくつも超え... 幸いなことに大きなトラブルに見舞われることもなかった。
札幌駅の到着前、車内チャイム「アルプスの牧場」が車内に鳴り響いた。とても印象的であった。国鉄車両のチャイム音はゼンマイ式のオルゴールであることが多く、この183系もそうであった。
現在のJR車両のほとんどが電子チャイムであり、私が記憶している中ではゼンマイ式は聞いたことがなかった。おそらく、国鉄485系も電子オルゴールだったはずであるため、ゼンマイ式はなんともいえぬ雰囲気を放っていた。
札幌到着後、次は「特急北斗」に乗る。札幌から函館まで結ぶ特急である。3時間もの長旅!不思議な名前の駅に幾度か停車しながら、新函館北斗駅までひた走る。
この特急北斗の停車駅の名前がこれまたおもしろい。アイヌ語に由来するものが多く、やたらとかっこいい名前が多かった。伊達紋別とか厨二の心をくすぐるワードそのままである。長万部は解読不能ですらあった。
新函館北斗駅に到着。次は最近開通したばかりの北海道新幹線を使って津軽海峡をくぐり抜ける。青函トンネル内での事故が多発し、あまりよろしくない印象を持っている。が、それを払拭できる豪華っぷりであった。
まだ開通して間もないこともあってか、乗客数は少なかった。走行時の揺れや音など苦にならず、快適な新幹線の旅ができたと思う。函館止まりが惜しい。迅速に札幌へ繋げることこそがJR北海道の使命であり、イメージアップにもつながると思われた。
頑張れ!JR北海道!
盛岡駅で電車をパシャパシャ。秋田新幹線と接続しているため、様々な新幹線を見ることができた。
これにて北海道の旅は終わりを告げ、次なる目的地、岩手県宮古市を目指す。
しかし、2015年に発生した土砂崩れの影響でJR山田線(盛岡〜宮古)の列車が運行停止状態であった。これは、盛岡駅に到着してから初めて知り、計画性の無さが露呈した瞬間である。
元々、東北地方を旅するにあたり、計画を立てずにじっくりと被災地を見て回る予定であったため、乗降列車は現地で予定を立てるつもりであった。自分は列車に詳しいし、困った時はGoogle先生に聞けばよかろうという、謎の余裕が生まれていた。この時学んだことは、
「未踏の地において計画を立てずに旅を行う際には、前もってその地域のインフラ状況を最小限知っておく必要がある。また、インターネットの情報が全てではない。」
ということである。
だが、通行止めということには変わらず、盛岡駅にて意気消沈している暇もない。次なる策を講じる。宮古市ではない沿岸部地域に、盛岡駅から接続しているJRを探すことに。
そもそも、なぜここまでして沿岸部に行くことを試みたのか。
理由としては、内陸の盛岡から沿岸部に行くまで最低2時間はかかるからである。この状況なら、盛岡で一泊し、次の日の朝に出発するのが普通である。しかしながら、いくら朝早くに出発したとしても、沿岸部に到着する時刻は11時を回ってしまう。
筆者は丸一日を使って被災地を見て回りたいと考えていたため、はなから盛岡で一泊するという選択肢は無かった。
現に、この1日は朝7時に北見を出発し、盛岡へ到着した際の時刻は18時を回っていた。ほぼ丸一日を移動に費やしていたため、この1日を移動日として設定し、何としてでも沿岸部へ到着したかったのである。
なんとか沿岸部へと続く列車はないものかと、半ば諦めながらスマートフォンとにらめっこをしていたところ、ひとつ候補が上がった。
宮古市の南へ約55キロ。同じ沿岸部の町である釜石市が候補に上がった。釜石市ならば、宮古市と同じようにJRを使って行くことができる。
ただし、一度JR東北本線を使ってからJR釜石線へ乗り継ぐ必要があった。この時間帯、そもそも走っているのか?不安ではあったが、JR東北本線への乗り換え口へと進む。すると、予想だにしないことが!
なんと盛岡駅から釜石駅への直行便が存在していた!発車時刻は10分後!
まさに紙一重であった。この奇跡の列車に乗り、釜石駅周辺のホテルをなんとか予約。今日一日が締め括られた気がした。
時間帯がサラリーマンの帰宅時間と重なり、かなりの乗車率であったが、釜石市方面に近づくにつれて乗客数はみるみる減り、気がつけば筆者を含めて両手で数えられるほどになっていた。
到着時刻は20時を回っておりヘトヘトではあったが、なんとか沿岸部の町へ着くことができた。予約したホテルに到着し、移動の疲れを取ったところで今回の旅日記は終了である。
to be continued...