北海道 -> 東北旅行 6日目
何とか沿岸部の町にたどり着いた次の日、沿岸部を鉄道とBRTで南下して行くことに。
ホテルから見た釜石の町
ホテルをチェックアウトし、歩いて三陸鉄道の駅を目指すことに。ホテル近辺の道路はでこぼこしており、若干土も残っていた。ホテルにも津波がきていたことに驚いた。
おさかな
JR釜石駅 きれいだ。
釜石市はラグビーの町だそう。JR釜石駅にて、ねことラグビーボール。
それまで見えてこなかった被災地の現状が少しずつ見えてきた。
まだまだ復興中である。
数十分後、三陸に到着。
三陸駅には看板があり、三陸大王杉が近くにあるようなので歩いて行ってみることに。しかしながら、道が舗装されておらず、道という道もトラックが行き来するような道であった。作業をしているおじさんたちに三陸大王杉のことを聞いてみると、すごい訛りのある言葉で (人のことは言えないが) 場所を教えてくれた。
道という道を進むと交差点(?)のところに手作りの建物が建っていた。
なんでもこの資料館は津波によって流されたがれきで作られたもの。中に入ると津波が押し寄せてくるまでの時系列に沿った写真やがれきなどが多数展示されていた。
止まった時計
ノート
なんとも痛々しいものばかりであった。いくつか写真は撮ったが、ここに載せるものは最低限のものにする。いちど足を運んで、自分の目で確かめていただきたい。
とてもいたたまれない気分になり、とぼとぼ大王杉に向かって歩いて行くと、途中で大きなポプラの木が1本だけそびえ立っていた。ど根性ポプラというらしい。
津波によって家屋や木々が流される中、このポプラは流されなかったようだ。何もない荒涼とした土地に凛としてそびえ立つこの木には、何か大きな力があるようだ。
後に調べてみると、昭和8年の三陸沖地震、昭和35年のチリ地震、そして東北地方太平洋沖地震と3度の津波を耐え切ったらしい。今回の津波では、約25メートル、この木の8割の高さまで海水に浸かったようだ。
この木がある限り、三陸は何度も蘇る... そんな気がした。
でこぼこ道を歩きながら山に向かって階段を登って行くと、いきなり現れた。
三陸大王杉。でかい。
そこから三陸を一望できた。何もない。ただただ震災の爪痕が残っていた。
なんだろうか。あの日からずっと時間が止まっているようにも見える。復興まであとどのくらいの時間を要するのだろうか。
その後、大船渡市に入り、昼食をとることにした。
ちょうど歩いていたら食堂があったので、入ってみることに。
この店の名物、カツカレーライスを注文することに。
数分後...
どん。
ものすごくおいしかったです。これがデフォルトサイズ。
全部食べきれませんでしたが... もしまた来ることがあれば、ミニサイズを注文しよう。
満腹になったお腹を消化するつもりで、道無き道をひた歩いて大船渡駅を目指す。
大船渡は三陸よりも復興が進んでいるようにも見えたが、やはり海側はあまり進んでいないようだった。
そして、ここからはBRT。いままで列車が走っていた線路を外して、そこにバスを走らせている。たまに下道を使ったりもする。
被災地を走り抜け...
目的地に到着。
seeing the sights as he goes 車の窓から外をみる
his country all crushed into stones 粉々に砕かれた土地
Other cars rushing to aid 次々と被災地に向かう車達
Tears won't stop falling 涙が止まらなかった
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1日丸々被災地を見て回り、言葉が出なかった。
旅行時には震災から約6年経った頃だったが、復興はまだまだ。
同じ日本に住んでいるのに
何も手助けできない自分がいた。
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気仙沼に到着。
6日目の旅はここで終了である。
追記: 日記の更新をかなりの間放置してしまい、申し訳ないです。
また、震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。1日もはやい復興を願っております。